まち景活動日誌

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「鵠沼景観まちづくり会」とまち歩き 〜円蔵〜


「鵠沼景観まちづくり会」の皆さんと記念撮影=円蔵の神明大神宮で

3月31日、「鵠沼景観まちづくり会」の皆さんを懐島の円蔵にご案内しました。

「鵠沼景観まちづくり会」は、鵠沼の里山(通称)の開発問題がきっかけでまちづくりが始まり、「松が岡5丁目緑地」として保全に成功した後、地域の環境について普段から意識することが大切ということで2007年に発足。お隣の藤沢市の「都市景観市民団体」です。

住宅地でのまちづくり活動のため、\験茲某閥瓩淵魁璽后米常の散歩コース)⊇擦鵑任い訖佑燭舛療慘呂任任ている空間を巡りたいとのご要望に応え、まち歩きのコースを円蔵にしました。

円蔵では、神明大神宮を含むこの一帯に相模武士・懐島景能の館があったということを大変誇りにして、まちづくりに取り組んでいます。



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「石に彫っておけば100年先まで大丈夫」。神明大神宮には説明板や懐島景能像など、奉納された石造物がたくさん並んでいる。


1976年ごろに緑道のある分譲地として開発された陽ざし野。緑道の下には水路が埋設されている。


阿弥陀堂には神明大神宮の総代長、総代などが発起人になって建てた案内板が設置されている。後方に見えるのは祇園堂。


変形交差点の一角に山王社(円蔵の三山王の一つ)と道祖神(円蔵の七精神(せいのかみ)の一つ)。斜め向かいには高札所跡があり、趣が感じられるスポットになっている。


鎌倉時代からの道筋といわれている、曲がり具合が魅力的な道路。写真右は、中世の堀跡と考えられている水田。


■鵠沼景観まちづくり会の皆さんから頂いた感想をご紹介します。

・町全体の雰囲気は、本鵠沼(大東、中東、原地区)に似ていて、その土地の長い歴史を感じさせるものがいくつもあって素晴らしかったです(特に大きな家の屋敷林と神社・道祖神)。 この雰囲気を残している要因の一つに、篤志家の存在がある事ではないのかと思いました。

・「身近な歴史」を考える上で色々なケースがあることに気づかされ、色々と眺めながら「こういうデザインで見せられないか」など思考を巡らせたりして、大変いい刺激を頂く時間を過ごせました。

・頂いた資料が丁寧に作られていたり、説明資料が多岐にわたるなど、一民間ボランティア団体で内容的にも資金的にも驚く程の立派なものでした。まち景の皆さんの取り組み意欲の高さに加え、茅ヶ崎市も積極的にまちづくりに関与しているようにも思いました。

・まち景メンバーの方々が、自分のまちについて良く勉強していらっしゃると強く感じました。長い歴史を有する神社や場所について、その故事来歴までお話して頂けたのは、聞いている我々にとって大変印象に残りました。又、同じ地域を定期的に巡回していて、いつも「今」を把握しようと努めている点も感心しました。

・大変楽しく、充実したまち歩きでした。まち景の皆様の、知識と愛情あふれる説明、用意していただいた沢山の資料に感激いたしました。雨も風も包む温かさでした。

・隣町でありながら、初めて知ることも多く、とても参考になります。また茅ヶ崎の方々の、まちづくりに対する取り組みも大変熱く、大いに触発されます。資料を拝見して、地域の歴史や自然を丹念に掘り起こし、親しみやすい手法で発信していく点に、学ぶべきことがたくさんあると感じました。実現にはなかなか根気の要ることですが、継続的な活動で 広く周知していくということが、まずは私たちにできることでしょうか。

「景観まちづくり」をテーマに活動している皆さんとのまち歩きは、違った視点でのお話も伺え、楽しく有意義でした。また、鵠沼がぐっと身近に感じられるようになりました。これを機会に今後も交流していくことができればと思っています。

| 懐島(円蔵・西久保・鶴が台) | 15:32 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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コメント
突然書き込み、申し訳ありません。

私は愛知県にある、瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会々員の

松原初夫と申しますが、今18世紀に書かれた、小牧長久手の合戦を描いた

軍記物の『長久手合戦記』の解読を、古文書の勉強を兼ねてやっています。

まだ今月から始めたばかりで、何が書かれているかわかりませんが、

その冒頭部分に

   「信雄卿誅三臣事 附 大田善太夫手柄事」

と出てきました。

しかし、大田善太夫がどういう人物か、さっぱり分かりませんので

インターネットで検索していたら、関ヶ原の合戦で、上田七本槍云々と書かれ、

お宅の「まち景」には、懐島の領主と書かれていますが、トータルの情報が分かりません。



もし太田善太夫の来歴など分かれば、あるいはここに聞けば分かる等の情報があれば

教えて頂けませんでしょうか。

※まち景に載っているメールアドレスでは送信できませんでした。

 松原初夫

| 松原初夫 | 2012/05/25 5:15 PM |
大田氏は三河以来の徳川の従臣と聞いています。
インターネットの時代ならではのご縁ですね。

大田氏は旗本で、懐島の円蔵村を本貫地とし知行高は230石。早川村(綾瀬市)ほかにも知行地を持っていたそうです。

茅ヶ崎市が昭和57年に発行した『茅ヶ崎市史5 概説編』に下記のように記されています。
「地頭大田氏の場合は五代吉次の墓碑だけが村内の了覚庵にある。当庵は吉次が祖先の菩提を弔うために建立したといわれるが、庵内には阿弥陀堂が置かれていた。この庵は名主の持ちであると幕末の記録にあるが、その堂が太平洋戦争後まで村の管理とされて、村民の集会の場に使用されていたのは、古い慣行の継続であったのかもしれない。」

また何か分かりましたらご連絡させていただきます。

*メールが送信できなかったとのこと失礼いたしました。しかし、私が試した範囲では問題ないようです。一時的な不都合だったのかもしれません。
| まち景KT | 2012/05/28 12:42 PM |
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